むかしの植野村 (現在の南上野町)
「鹿沼市史資料編 近世2」参考
植野村
黒川の東部にある洪積台地上にあり、畑作地帯である。「慶安郷帳」では植野村とあり、村高249石余(田45石余・畑204石余)「元禄郷帳」では日光神領・宇都宮藩領・旗本依田・宮城の四給となっている。嘉永年間に神領では二宮尊徳によって尊徳仕法が行われた。嘉永6年(1853)の家数16軒・人数79人・馬7とある。奈佐原宿の助郷村であった。村には真言宗持宝院(廃寺)、星宮神社・稲荷神社・松山神社・神明宮がある。
参考
慶安郷帳 1648年
元禄郷帳 1701年
天保郷帳 1834年
一給支配=一村一領主、二給支配=一村二領主、三給支配=一村三領主というように旗本による分給支配地である。
相給=複数の領主下 |