むかしの西鹿沼村 (現在の西鹿沼町・日吉町)
「鹿沼市史資料編 近世2」参考
西鹿沼村
岩山の山麓を流れる小藪川の上流に位置する。天保年間(1830〜43)の村高は756石余・家数33軒・人数165人。大芦川筋にある下日向村と西鹿沼村はともに用水を大芦川に求め三貫堰において分水がなされた。
西鹿沼村の概要
現在の鹿沼市西鹿沼町・日吉町に属する。小藪川の上流域にある。往昔このあたりは沼地であったらしく、鹿沼の西方に位置したことから西鹿沼という地名が生まれたと伝えられる。室町時代には西鹿沼郷という郷名が見え、日光山常行堂の念仏供養米を納めていた。「慶安郷帳」で56石余、薬師別当領3石余とある。享保14年(1729)の村明細帳では、家数93件・人数384人とみえる。宗教施設としては、秋葉神社・日吉神社・光太寺・清水寺・雄山寺(いずれも曹洞宗)がある。雄山寺ははじめ臨済宗光照寺と称したが天文7年(1538)天芝正遵を開山に迎えて曹洞宗に改められた。さらに天正18年(1590)壬生義雄が小田原で陣没した後光照寺に埋葬されると寺名を雄山寺と改めた。
参考 慶安郷帳 1648年 元禄郷帳 1701年 天保郷帳 1834年 |