■説明板・・・
●(史跡)鳥居跡(とりいど)
奈良時代に勝道上人が日光開山後、この地に4本のえのきを植えたと伝えられ、また、鎌倉時代に、源頼朝が日光神領として寄進したとされる押原66郷の由緒あるこの地に、日光山の遠鳥居を建てたと言われているように、古い伝承のある地である。後年、鳥居の跡が地名になって鳥居跡になったと言う。江戸時代のはじめ、日光へ街道が整備され、鹿沼宿がつくられた際、鳥居跡から分岐造成された新道が現在の大通りであると鹿沼古記録にある。その頃、鳥居跡に植えられた4本のけやきは次第に枯れ、大きな空のあった最後の一本も、戦後まもなく姿を消してしまった。その跡に、昭和32年、日光二荒山神社から御神体を迎え、二荒山神社を建立した。鳥居跡町名は、由緒ある地名「鳥居跡」から命名されているが、町内発展の契機となったのは、昭和4年に東武日光線が開通し、東武新鹿沼駅が開業したことである。
■ガイドマップには・・・
鹿沼の由来を記録した「鹿沼町古記録」によると、日光開山の勝道上人が、日光山守護のために四天王を表す松、杉、梅、紅葉の4本を植えたとあり、また、「押原推移録」によると、源頼朝が日光山に神領66郷を寄進したとき、神領の入り口に当たる所に「遠鳥居」を建てたといわれ、その跡に大欅があったが、昭和22年9月台風で倒壊、伐採された。その後、日光二荒山神社から勧請された「二荒山神社」が建立された。(鳥居跡町)
■説明板・・・
●荒神神社(こうじんじんじゃ)
「荒神神社」は鳥居跡町の氏神。祭神は奥津日子神(おきつひこのかみ:男)・奥津日女神(おきつひめのかみ:女)(※竈(かまど)の神様のようです。)で、祭日は10月25日。創建は明らかではないが、新鹿沼駅の開業に伴い、昭和6年(1931)社殿を建設し、稲荷神社(地名から千万稲荷)を境内社とした。境内の「イヌガヤ」は改修以前からの古木。(鳥居跡町)
|