むかしの上奈良部村
「鹿沼市史資料編 近世2」参考
上奈良部村
黒川の東部にある洪積台地で畑作地帯である。「慶安郷帳」には奈良部村として二筆あり、184石余(田77石余・畑59石余)および165石余(田77石余・畑88石余)、元禄年間に上・下奈良部村に分け郷となり、上奈良部村は正徳4年(1714)からは旗本堀知行所となる。村高は453石余で奈佐原宿の助郷村となる。慶応4年の家数36軒・人数180人・馬数17であった。村には真言宗福性院(廃寺)・稲荷神社があった。
慶安郷帳 1648年
元禄郷帳 1701年
天保郷帳 1834年
一給支配=一村一領主、二給支配=一村二領主、三給支配=一村三領主というように旗本に
よる分給支配地である。
相給=複数の領主下 |