むかしの玉田村
「鹿沼市史資料編 近世1」参考
玉田村
黒川右岸にある。北は見野村・富岡村に接する。「慶安郷帳」には田281石余・畑137石余、それに瑞光寺領が20石ある。瑞光寺は曹洞宗寺院、長享元年(1487)昌源の開基と伝える。
玉田村の概要
中世には、「日光山往古社領六十六郷」の一つ「玉田郷」をなしたと伝える。黒川右岸に位置し、村の西部は丘陵に覆われている。「慶安郷帳」によれば、田281石余・畑137石余で、ほかに瑞光寺領20石が含まれる。阿部重次領、武蔵岩槻藩領を経て、元禄期に旗本仁木・向山氏の二給支配となり、幕末に至る。天保9年(1838)当時、家数53軒、人数は231人であった。玉田山の山号をもつ瑞光寺は、曹洞宗総持寺派の古刹で、長享元年(1487)日光山座主座禅院昌源大僧正の創建と伝える。末寺15か寺を数えるが、そのうち、15世紀から16世紀初頭に開山された11か寺が鹿沼周辺に存在する。徳川家光より20石の寺領が寄進されている。玉田村の名主を勤めた鈴木家の由緒書によれば、室町時代初期の創建とされる鹿嶋神社の願主(願主とは願をかける人の意味である。)7人のうちの一人を遠祖にもつという。鹿嶋神社は、応安3年(1370)に社殿を修復し、以来、玉田村の鎮守となっている。
参考
慶安郷帳 1648年
元禄郷帳 1701年
天保郷帳 1834年 |