むかしの西沢村
「鹿沼市史資料編 近世1」参考
西沢村
南は佐目村、東は下南摩村、北は野尻村に接する。「慶安郷帳」では田274石余・畑579石余・天保年間の家数98軒、慶応4年(1868)の村明細帳では家数118軒・人数617人・馬70疋であった。真言宗霊雲寺派正蔵院は、正徳3年(1713)の開山、愛染明王は木造の座像。
西沢村の概要
西沢村は、南摩川流域の村で、小倉川(思川)をはさんで久野村(粟野町久野)に接している。中世以来、東接する下南摩村・油田村と合わせて「下南摩郷」をなしていたが、寛永14年(1637)に三か村に分村された。ただし、かつての「下南摩郷」三か村は、江戸時代を通じて、惣鎮守山王権現の祭祀や用水慣行などで強い共同性を保った。元禄期に、旗本根来・蜷川・久志本・林の四給となり、幕末に至る。浅間神社は、文明年間(1469〜1486)の創建といい、正徳3年(1713)開山の真言宗正蔵院はもともと下南摩村勝願寺の末寺であったが、延享4年(1747)に江戸湯島の霊雲寺の末寺となったという。
参考
慶安郷帳 1648年
元禄郷帳 1701年
天保郷帳 1834年 |