むかしの下奈良部村 (現在の下奈良部町・みなみ町)
「鹿沼市史資料編 近世2」参考
下奈良部村
黒川の東部にある洪積台地で畑作地帯である。「慶安郷帳」では奈良部村とあるが、元禄年間には上・下に分け郷となり、下奈良部はニ給となり幕末まで旗本小林・落合領となる。村高は297石余、奈佐原宿の助郷村となる。慶応4年の家数は25軒・人数146人・馬数21疋であった。村には盤裂神社があり、真言宗宝蔵院(廃寺)があった。
慶安郷帳 1648年
元禄郷帳 1701年
天保郷帳 1834年
一給支配=一村一領主、二給支配=一村二領主、三給支配=一村三領主というように旗本による分給支配地である。
相給=複数の領主下 |