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1.市立北押原中学校 しりつきたおしはらちゅうがっこう |
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昭和22年、新学校制度施行により、北押原中学校開校。同29年市町村合併により鹿沼市立北押原中学校となる。
北押原中学校 |
2.光明寺 こうみょうじ |
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曹洞宗に属し寛正(かんしょう)年間(1460-1466)英室了雄(えいしつりょうゆう)和尚の開山と伝えられる。
・おびんずるさま
光明寺の賓頭慮(びんずる)堂には約30kgの賓頭慮尊者の石像が安置されています。この石像は弘法大師が、たまたま石山に立ち寄ったとき、霊石に彫った十六羅漢像の一体といわれます。この像については、あるとき開祖の英室了雄和尚の夢の中に、空海に縁(ゆかり)のある僧が現れ、この像を石山から寺に移して欲しいとのお告げがあったことから、寺に移したといわれます。この「おびんずるさま」を祈願すればや願い事が叶うといわれ、成就するときは綿のように軽くなり、不成就のときは磐石のように石像が重くなるといわれます。「おびんずるさま」には、また、病人が自分の患部と同じ所を撫でると病が治るという俗信があります。
光明寺 |
3-1.生子神社 いきこじんじゃ |
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祭神は瓊々杵命(ににぎのみこと)で神亀(じんき)3年(726)の創建といわれています。その由来は、天正8年(1580)12月氏子の子供が疱瘡にかかり、晦日の夜亡くなってしまいました。両親は嘆き悲しみ、夜明けをまって屍を背負って境内の泉に沐浴し、42種の供物を供えてまつることを誓い、愛児の蘇生を祈ったところ、3日後に蘇生したことからその神徳に感じ、氏子一同が集まり、1月8日(現在は第3日曜日)に42種の献饌をすることになったもので、生子神社の社号もこのことによると言われています。この祭りには早朝「弓取式」等も行われ、「日の出祭り」として平成12年鹿沼市無形民俗文化財に指定されました。
樅山町の神社 神社の杉 |
3-2.生子神社「泣き相撲」 |
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生子神社の伝承や社号にあるように「生子」が安産・子育てにつながりをもち、江戸時代末期より子供の生育を願っての「子供相撲」が、幼児の「泣き相撲」に進展していったとみられます。「泣く子は育つ」という縁起が奉納相撲に取り入れられたもので、先に泣いた子を勝ちとする相撲で、全国的にも珍しく、9月19日(現在は19日以降の最初の日曜日)の祭日には、地元はもとより県内外の人々の尊崇を受けて賑わいます。平成2年鹿沼市無形民俗文化財に指定されました。なお、御神木の杉は鹿沼市選「グリーンライフ保存樹木」に選定されました。
泣き相撲(生子神社 |
4.北押原村役場跡 きたおしはらむらやくばあと |
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明治22年、市町村制施行により、北押原村役場を大字樅山に設置。昭和22年火災により建物は焼失しました。その後、昭和29年鹿沼市と合併、現在建物跡地はもみやま保育園として使われています。
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5.市立北押原小学校 しりつきたおしはらしょうがっこう |
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明治6年惜陰社(せきいんしゃ)と称し、光明寺内に開校。同18年樅山小学校と改称。同20年樅山尋常小学校と改称。同25年光明寺前にに校舎落成、同26年北押原尋常小学校と改称。大正7年現在地に新校舎新築落成、塩山尋常小学校と併合して移転。昭和16年北押原村立国民学校と改称。同22年北押原村立北押原小学校と改称。同29年市町村合併により、鹿沼市立北押原小学校となりました。
北押原小学校 |
6.金売吉次の墓 かねうりきちじのはか |
2011.1.6
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樅山駅の北、粟野街道の踏み切りの所にある高さ約2m程の石塔で、源義経を奥州の平泉に案内したとされる金売吉次の墓との伝承があります。この伝承は各地にあり真偽については分かりません。この石塔は東武線が開通した当時、踏切事故が多く、また電車の運転手が、踏み切りの近くに人が立っているので、慌ててブレーキをかけたが、誰もいなかったなどということがあり、気味が悪いので付近を調べたところ、発見された石塔を祀ったもので、江戸時代に、この近くにあった浄慶寺のものとみられ、吉次の命日の11月24日に樅山駅で供養してきました。現在は無人駅となり忘れ去られようとしています。
伝吉次の墓 壬生町金売吉次の墓 |
7.大師の硯石 たいしのすずりいし |
2011.1.6
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石山の山腹に「硯石」と呼ばれる硯の形に似た石があり、空海が加持祈祷を行った跡といわれ、硯石に溜まった水は、どんな日照りのときでも涸れることがないといわれる不思議な石です。また東麓には祖父石・祖母石・孫石という三つの石がありますが、その由来はわかりません。また東麓には第2次大戦のとき、軍需工場建設のために壕が掘られましたが、終戦と共に中止となりました。
石山の風景 千葉省三のけんか |
8.空海の洗水池跡 くうかいのせんすいいけあと |
2011.1.6
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「地蔵尊」の近くには小さい池があり、空海がここで沐浴をしたと伝えられ、日照り続きのとき、ここで雨乞いをすれば、雨が降るといわれていました。この付近は湧水が多い所ですが、粟野街道工事のときに造成されて、昔の面影はなくなりました。洗水池は泉水池のことでしょう。
場所がわからないので、石山の南麓、塩山地区にある池を載せました。 |
9.空海の座石・姥母石 くうかいのざいし・うばいし |
2011.1.6
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石山の頂上は眺望がよく、男体山・古賀志山・筑波山などを見渡すことができ、ここに高さ約9m、周囲約23mの大石があり、「空海の座石」とか「姥母石」とかいわれています。その由来は、昔、この石山の近くの家に、生まれて間もなく両親を失った赤子が、祖父母に育てられることになりましたが、母乳がなく困り果てていたところ、たまたま通り掛かりの婦人がこの子を哀れに思い、この家に滞在し、姥母としてこの子を育てることになりました。しかしこの子の成長を見届けるや、姥母が突然姿を晦(くら)ましてしまいました。その後、この子が姥母を忘れられず、その厚恩に報いるために、たまたまこの地を訪れた高僧の空海にそのことを話し、石山の頂の石に仏像の彫刻を懇願したところ、空海はその孝心の深さに感じ、その石の周囲に16体の羅漢の仏像を彫刻し、石の上で護摩祈祷を行ったという言い伝えがあります。その他、山麓には日限地蔵尊(首なし地蔵)、虚空蔵、天神宮などがあり、昔から霊場として信仰された所です。石山は千葉省三の童話作品「鷹の巣とり」の舞台にもなっている所です。
姥母石 |