■北押原のさとめぐりふるさと史跡マップ より
樅山駅の北、粟野街道の踏み切りの所にある高さ約2m程の石塔で、源義経を奥州の平泉に案内したとされる金売吉次の墓との伝承があります。この伝承は各地にあり真偽については分かりません。この石塔は東武線が開通した当時、踏切事故が多く、また電車の運転手が、踏み切りの近くに人が立っているので、慌ててブレーキをかけたが、誰もいなかったなどということがあり、気味が悪いので付近を調べたところ、発見された石塔を祀ったもので、江戸時代に、この近くにあった浄慶寺のものとみられ、吉次の命日の11月24日に樅山駅で供養してきました。現在は無人駅となり忘れ去られようとしています。 |