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はしか和尚
(はしかおしょう)
 西沢町

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写真は浄海橋です。小さいです。石柱に「浄海橋」とありました。

◆「数百年昔のはなし。南摩の西沢の観音寺という貧乏寺に『浄海』という和尚が住みついた。子供達に人気のある和尚だった。ある時、村の子供がはしかにかかったが、和尚が三日間お経をとなえてなおした。この話は村中に広がり、”はしかよけ”を願う親と子にはなくてはならない人になった。そんな和尚も年ごとに衰え、『わしが死んだら、橋のたもとにうめてくれ。”はしかよけ”を願って尋ねてくる人には、子供を抱いて、その橋の下を三度くぐるようにはなしてあげなさい。』といって大往生をとげた。村人は和尚の遺言どおり、和尚を橋のたもとに葬り、『浄海橋』と名づけた。」というはなしです。

もっと大きい橋をイメージしていました。この橋は新しくバイパスができたので、ありません。代わりに新しい祠が祀ってあります。
22.10.31
■説明板・・・
●浄海橋の由来
この西沢地区に「浄海橋」をくぐると、はしか(麻疹)が軽くすむという伝承があります。その由来は江戸時代の中ごろ、いまから300年ほど前、浄海様というお坊さんが観音寺に住んでいました。浄海様は村々を托鉢し、病や悩みに苦しむ人々を助け、相談ごとに耳を傾け、子供たちとよく遊ぶ日々を送っていました。
ある日、托鉢をする家々から助けを求める親の声。「浄海様、どうかうちの子を助けて下さい」と。不治の病「はしか」に冒された親の悲痛な声が聞こえます。浄海様は早速「はしか」に苦しむ、子供の家々を回り、枕元で「独鈷」を振り、お経を唱え昼夜を問わず祈祷を続けました。その甲斐あってか一人の犠牲者もでませんでした。その後、浄海様は「わしが死んだら橋のたもとに独鈷と一緒に埋めてくれ」と頼み、村人に、幼児を抱いて橋の下を「三度くぐればはしかは治る」と言い残し、この世を去りました。それから「はしか除け」を望む人たちが近在から大勢来るようになり「はしか除けの浄海橋」と言われるようになりました。
勝願寺七十世住職 北條昌隆