■説明板(六方沢橋袂に設置)
●六方沢(ろっぽうざわ)
慶応4年戊辰(ぼしん)の年(1868年)の春、日光山に拠った(たてこもる)旧幕府軍大鳥圭介ら2000名は、
官軍板垣退助の率いる土佐藩隊の攻撃を受けて4月29日夕刻日光を撤退この地、六方沢の谷底に仮泊、翌閏(うるう)4月1日会津へ向かった。
このあたりは、県花八汐花(やしおつつじ)がさきほこるところで大鳥圭介がその景を次のように詠じた名所である。
▼六方越 大鳥圭介
深山日暮宿無家(深山日暮れて宿るに家無し)
枕石三軍臥白砂(石に枕し三軍白砂に臥す)
暁鳥一声天正■(雨冠の下に齊:セイ・サイ 意味:はれる)(暁鳥(※暁鶏(ぎょうけい)なら夜明けを知らせる鶏の鳴き声。)一声天正はる)
※ニワトリの鳴き声で天は正に晴れる。
千渓雪白野州花(千渓雪は白し野州花)
■今市市(当時の説明板の管理市)現日光市 |