■佐野 唐沢山22.11.26小さい画像
■説明板・・・
●唐沢山神社(からさわやまじんじゃ)
当神社は御祭神秀郷公により平安時代中頃に築城された本丸跡に建てられております。「むかで退治」の伝説や「天慶(てんぎょう)の乱」の鎮定等から武勇に勝れていたことが知られています。又この乱の鎮定の功により鎮守府(ちんじゅふ)将軍に任ぜられました。その後700年の間多少の変遷はありましたが、江戸時代初期の山城禁止令により廃城となりました。明治16年一族旧臣等が公の遺徳を偲び唐沢山神社を建てました。
環境省・栃木県
藤原秀郷公墳墓
ウィキペディア・・・
※秀郷=藤原 秀郷(ふじわら の ひでさと)は、平安時代中期の貴族・武将。下野大掾(しもつけだいじょう)藤原村雄の子。
室町時代に「俵藤太絵巻」が完成し、近江三上山の百足退治の伝説で有名。もとは下野掾であったが、平将門追討の功により従四位下に昇り、下野・武蔵二ヶ国の国司と鎮守府将軍に叙せられ、勢力を拡大。死後、贈正二位を追贈された。源氏・平氏と並ぶ武家の棟梁として多くの家系を輩出したが、仮冒の家系も多い。
※承平天慶の乱(じょうへいてんぎょうのらん)は平安時代中期のほぼ同時期に起きた、関東での平将門の乱(たいらのまさかどのらん)と瀬戸内海での藤原純友の乱(ふじわらのすみとものらん)の総称である。一般に承平・天慶の両元号の期間に発生した事からこのように呼称されている。
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