案内板
正面の地蔵岩に鎮座いたします地蔵尊の云われ
1683年、M7.3の地震により男鹿川、湯西川合流点がせき止められダムができ、150日間で周辺部落が水没しました。また、1723年8月には、連日の暴風雨により五十里湖が決壊し、鬼怒川下流で大洪水が発生。この為、一万人以上が死亡する大きな被害をもたらしました。度重なる災害からこの地を守ろうと、1745年9月に村の守り神として地蔵尊が建立されました。
当初は岩の下の街道近くに設置されましたが五十里ダムの建設により水没を免れるため、当所に移動したと地元の方々が伝えております。隣には、馬頭観音が街道交通の安全を願い村世話人により立てられています。碑に記された意味は「弘法大師が修行したと言う言い伝えのあるこの聖地に家内(村の)安全を願い五十里村の人達が延享2年(1745)9月に立てた」
1723年にはすでに五十里湖があったのですね。馬頭観音はちょっと分かりませんでした。お地蔵様を祀ってある大岩は見ごたえがありました。 |