広報日光 平成5年11月1日〜12月・・・には
日光のむかしばなし
●三つの石 蛇石・馬石・鞍石
和の代(清滝和の代町)から、まがりくねった道をのぼり、とうげを越えると滝が原へでます。道はそこから小来川へと続きます。
その滝が原と小来川の間に蛇石・馬石・鞍石という三つの石があります。それは、むかしむかし、ここで殺されたお坊さんにまつわるお話なのです。
むかし、ここで日光山のお坊さんが、村人に殺されました。どうして殺されたのか、というお話があまり多過ぎて、一つにしぼることができません。ですから、このお話については、私の聞いたり、読んだりして知っていることを全部かいてみます。
一、このお坊さんは、ひじょうにつめたいこころの持ち主でした。ですから、年ぐ(今の税金)のとりたてがきびしく、村人からうらまれていました。
二、このお坊さんは、年ぐを集めたとちゅうだったので、その年ぐをうばうために殺されました。
三、このお坊さんは、日光山のお金を壬生の殿様にとどけるとちゅうでした。壬生の殿様と仲の悪かった宇都宮の殿様が、そのお金が壬生城へとどいては困る、というので、村人を使って殺させました。
四、このお坊さんは、日光山の出城だった下野大沢駅近くの、城山の城の殿様でしたが、戦争にに負けて、日光山に逃げ帰るとちゅう、落武者狩(土地の人が負けた武士を殺して、よろいや刀をうばう)にかかって殺されました。
五、このお坊さんは、大変頭がよくて、えらい人でした。そのころ、日光山に勢力争いがあり、このお坊さんがいるとまずいと考えた、反対側のお坊さんたちが、村人を使って殺させました。
六、このお坊さんはかげでよくないことばかりしていました。こんな者がいると日光山の全体のお坊さんの恥になる、ということになり、村人を使って殺してしまいました。(まだほかにもあるかもしれません)
村人たちは、一方は山の崖、もう一方は川の崖という狭い山道で、待ち伏せしていました。山の上からたくさんの大石を落としてお坊さんを押しつぶしてしまおうとしたのです。
そんなことがあろうとは、ゆめにも知らぬお坊さんは、馬に乗り、二人のおともをつれてそこへさしかかりました。村人たちの落としたたくさんの大石は、二人のおともと馬を、一機に押し殺してしまいましたが、お坊さんは石にはさまれ、もがき、くるしんでいました。そして、近づいてきた村人たちをにらめつけ、苦しい息の下から「おのれ、このうらみ、けっして忘れぬぞ、われら三人死んで蛇となり、この沢の清水を毒水に変えてやるぞ。この馬と鞍は石になれ、その石を見るたびわれらがうらみを忘れるな」とのろい、息絶えました。
それからまもなく、崖下の川の中に馬の形をした石が現れ、道端には、蛇石と鞍石ができたのです。川の中の馬石は、頭にあたるところにくぼみがあり、冬になって、どんなに川の水が少なくなっても、いつも水をたたえています。それは、つみもないのに殺された馬の、悲しみの涙である、といわれています。後になって、どうして水がかわかないのか、不思議に思った人が、石のみでけずろうとしたら、真っ赤な血が流れ出したので、びっくりしてしまったそうです。蛇石は、その石を一まわりしてから、小石を三回なげつけると、大きい蛇が一匹、小さい蛇が二匹現れるといわれています。それはお坊さんと二人のおとものたましいなのだそうです鞍石は、それから少しはなれたところにあります。
蛇石と鞍石の間の沢水を、「お坊さんのうらみの毒が入っているから、飲んではいけない」と近くの人たちは言っています。
子どものための日光むかしばなし 八木沢 亨著
・・・馬石はあとでさがします。 |