■深岩観音説明板・・・
●深岩山聖観世音由来
当山は平安時代の開基にして弘法大師諸国行脚の御時、当霊山に詣り感應道交(※かんのんどうこう:人々の仏を求める心と、それに応ずる仏の心が通じ合い、一つに交わること。)して救世の願いを立て深さ拾余間ばかりの巌窟の中、自然出現の本地身與(※ほんちみよ?)の院大日如来に礼拝供養の後、御長ケ(みのたけ)1尺3寸の聖観音を彫刻し給まうところなり。又左の洞(ほらあな)の水清浄にたたえたる処に弁財天を造立しついで巌窟の奥に七福即生の大黒天を刻し貧窮無福の衆生に福分を施与し給うところなり。その後明和乙酉4月竹姫様(徳川五代将軍綱吉の末娘)は当山の聖観音に帰依信心の心厚く御紋付の御斗帳御水引など永々御免下され、爾来今日まで弘法大師の御開基観世音示現の山として下野三観音と崇め、下野三十三観音の第30番札所として遠近の男女道俗群集して二世の願望を祈り、霊験誠に深甚にしてその御利生にあづからざる者なき霊地なり。
※往古より当山に伝わる、古文書による
深岩山満照寺には続けて3回いきました。3回行って3回とも写真が手ぶれを起こしてしまい、よく写っていませんでした。何故かお堂のところだけがブレます。
石段が結構きついせいかもしれません。お堂の前にたどりつくころには心臓がドキドキドキです。それと頭の上にせり出した岩のせいでの恐怖感なのでしょうか。いずれにしてもよく撮れなかったのは事実です。男坂、女坂がありますが、女坂で登ったほうがいいかもしれません。鹿沼三十三観音のなかでは一番きついところでした。案内板は3つありました。
下野三十三観音三十番札所になっています。 |