・・・・・藤原(日光市)の風景・・・・・
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鬼怒川公園駅・桜
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■星ケ丘発祥記念碑
由来鬼怒川左岸のこの地は、明治初年元町長星藤太翁の祖父次郎作氏が温泉を発見、日新の湯と名づけ本町はじめての浴場を設けたことのある旧蹟である。昭和初頭の頃、星藤太翁が鬼怒川温泉開発の資金調達に奔走して苦心を重ねつつあったとき、強力な資金援助と共に機械堀の技術を導入温泉開発並びに星ケ丘桜ケ丘の開発の礎をなした功績、東京都渋谷区桜ケ丘の実業家桜田壬午郎氏を記念して、ここ小原沢に一橋を架し、桜田橋を名づけられた氏はここに別荘を設けたが、これが鬼怒川温泉別荘地開発の端緒となった。その後この地は星ケ丘と命名され、前記桜田氏及び第二別館星亥三郎氏、栃木県知事小平重吉氏、代議士尾関義一氏、県会議員星功氏、片山昇一郎氏、上沢徳治氏、須永藤重郎氏、岩本次郎吉氏等の隠れた努力により現在の如く開発されたのである。昭和27年には山麓を曲折迂回していた国道121号線の付替え工事が行われ、同37年10月には鬼怒川公園駅が改築されて現在に至った。然るに公園駅の大拡張と都市計画道路の完成等により、由緒ある桜田橋が撤去されたため、一碑を建てて星ケ丘開発の隠れた先人の遺徳を顕彰することとなった。茫々40余年、黙々として隠れた努力を重ねられた先覚を偲び、その功績を讃える次第である。
昭和49年4月吉日
藤原町長 星次郎