■記事は栃木市観光協会ホームページから引用
●まつりの沿革
栃木に山車が誕生したのは、明治7年(1874)県庁構内でおこなわれた神武祭典のときでした。倭町三丁目が東京日本橋の町内が所有する山王祭出御の静御前の山車を購入し、泉町が宇都宮から買い求めた諫鼓鶏の山車を賑やかに参加させたのが始まりです。
これを機に山車への関心が高まり、各町とも大工や人形師に山車を作らせる動きが活発となりました。
明治26年(1893)、栃木県最初の商業会議所開設認可に係る祝典では、万町一、二、三丁目が三国志の人形を東京日本橋本石町に住む人形師・三代目原舟月に、倭町二丁目は神武天皇の人形を乗せた山車を新調して参加しました。新旧6台が競演することとなり町をあげての喜びにひたりました。更に明治39年(1906)の神明宮・招魂社祭典では、室町が桃太郎の山車で参加して今日のかたちが出来上がりました。又、大町の弁慶の山車や明治の初めに購入した倭町一丁目の獅子頭が祭りの華やかさに花を添えています。
とちぎの山車祭りの名目は、当初神武祭となっていました。その後、神明宮・招魂社祭典を主軸に、会議所の祝典、ご大典奉祝祭に巡行してきました。昭和12年(1937)の市制施行祝賀を境にしてからは、おおよそ5年毎に開かれることとなり、市発展のまつりへと姿がかわり、現在では隔年開催となりました。
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