現地の説明板・・・判読できないが次のような内容であると思います。
栃木県指定史跡:大内廃寺跡
昭和32年8月27日指定
この寺院跡は寺地の中軸線内から南大門、中門と縦で正面奥に講堂、右手に金堂、左手に塔を配し、これらを回廊で結ぶ、法隆寺の伽藍様式を持つものと考えられる。五行川の河川改修に伴う開田工事によって南大門、塔跡、中門跡、回廊などが湮滅(いんめつ:跡形もなく消えてしまうこと。)して、今は僅かに雑木林の中に金堂跡と塔跡を遺しているにすぎない。本廃寺跡は芳賀郡の郡寺として位置づけがなされており、史跡としての意義は大きいと言える。
栃木県教育委員会・真岡市教育委員会
栃木県のHPから
大内廃寺跡
形式 法隆寺式伽藍配置
金堂の規模 塔跡の規模
東西 14.5m 東西 7.3m
南北 12.7m 南北 7.3m
土壇
1.1m 土壇 1.0m
基礎石 19個 土壇中央に塔の心礎
両者は南面して7mを隔てて配置され、金堂跡は東に位置する。
付近からは奈良時代の特徴をもつ文様の瓦が出土する。指定面積はほぼ30aであるが、寺域は南北に相当の広がりをもっている。
堂法田遺跡
昭和40年の発掘調査及びその後の開田工事によって、38基の版築の基壇及び多数の礎石が確認され、古代芳賀郡の郡衙跡と認められるにいたった。
大内廃寺跡の北600mに位置し、東西約200m、南北約300mの地域を占める。 |
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現地の説明板・・・判読できないが次のような内容であると思います。
栃木県指定史跡:大内廃寺跡
昭和32年8月27日指定
この寺院跡は寺地の中軸線内から南大門、中門と縦で正面奥に講堂、右手に金堂、左手に塔を配し、これらを回廊で結ぶ、法隆寺の伽藍様式を持つものと考えられる。五行川の河川改修に伴う開田工事によって南大門、塔跡、中門跡、回廊などが湮滅(いんめつ:跡形もなく消えてしまうこと。)して、今は僅かに雑木林の中に金堂跡と塔跡を遺しているにすぎない。本廃寺跡は芳賀郡の郡寺として位置づけがなされており、史跡としての意義は大きいと言える。
栃木県教育委員会・真岡市教育委員会 |
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