■説明板・・・
●飯塚一里塚(史跡) いいづかいちりづか
「一里塚」は江戸幕府によって、一里(約4キロメートル)ごとに築かれ、榎などを植えて旅行者の目安とされた。「飯塚一里塚」は江戸日本橋を起点とし、日光に至る日光西街道(壬生通り)の飯塚宿と壬生宿の間に設けられた。この街道は、日光東照宮参詣を中心に開かれた街道で将軍や幕府の使者・日光輪王寺門跡などの要人も多く利用した。特に東照宮例祭が催された4月中には通行人でにぎわった。明治に入り、鉄道の普及にともなって、交通手段も変わり、「一里塚」の必要性もうすれ、消滅するものが多かった。現在、この地から約4キロメートル南へ進んだ地点には「喜沢一里塚」も残されている。江戸時代の主要街道の様子を今に伝える貴重な史跡である。
指定年月日:昭和49年9月3日
所在地:小山市大字飯塚1805(西)1058(東)
所有者:小山市 小山市教育委員会
※県道18号線沿い。 |