■説明板・・・
●史跡 摩利支天塚古墳
摩利支天塚古墳(まりしてんづかこふん)は、隣接する琵琶塚古墳(びわづかこふん)とともに県内で最大の規模を誇る前方後円墳です。後円部の墳頂には後年になって摩利支天社が祀られ、今に至っています。墳丘は自然の微高地を利用して築かれたもので、その周囲には幅20mを超える大規模な周湟(しゅうこう:堀)がめぐらされています。この周湟は調査の結果、部分的に二重になっていることがわかりました。また墳丘上には、円筒埴輪が列を成して存在していました。これらの埴輪や古墳の形状などから、この古墳の築造年代は、5世紀末から6世紀初頭と推定されます。このような巨大な古墳の被葬者は、大和王権による支配体制の中で、下毛野国(しもつけぬのくに)をはじめて統括した大首長であったとも考えられています。
●墳形 前方後円墳 全長約117m●前方部 幅約75m 高さ約7m●後円部 直径約70m 高さ10m●昭和53年7月21日 ●国指定
栃木県教育委員会 |
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