■説明板・・・
●国指定史跡 祇園城跡(ぎおんじょうあと)
平安時代に藤原秀郷(ふじわらのひでさと)が築いたという伝承もありますが、正確な築城年代は不明で、記録に見えるのは14世紀後半のころからです。この城を築いたとき、城守りの神として祇園社(ぎおんしゃ:現在の須賀神社)をまつったことから、祇園城と呼ばれるようになったと伝えられています。西に思川(おもいがわ)をひかえた丘陵を利用して築かれ、築城されたころは現在の城山公園程度の規模と思われ、小山氏の本拠となったのは15世紀になってからのことでしょう。戦国の動乱にさいして、小山氏は越後の上杉氏や小田原の北条氏といった有力な戦国大名に攻略され、天正3年(1575)北条氏照(ほうじょううじてる)によって祇園城は陥落、小山秀綱(おやまひでつな)は追放されました。その後氏照が大規模に拡張・整備を行ったと思われます。やがて北条氏も滅亡し、江戸幕府成立後本多正純(ほんだまさずみ)が3万石で城主となり、最終的な縄張りを完成させ、東西約400m、南北約700mにおよぶ城郭となりました。この正純も元和(げんな)5年(1619)宇都宮へ転封となり、祇園城は廃城となりました。
平成3年3月12日 国指定 |