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●小山市の風景               栃木県小山市

祇園城跡=小山氏城跡

19.4.27 小山城山公園
■説明板・・・
●国指定史跡 祇園城跡(ぎおんじょうあと)
平安時代に藤原秀郷(ふじわらのひでさと)が築いたという伝承もありますが、正確な築城年代は不明で、記録に見えるのは14世紀後半のころからです。この城を築いたとき、城守りの神として祇園社(ぎおんしゃ:現在の須賀神社)をまつったことから、祇園城と呼ばれるようになったと伝えられています。西に思川(おもいがわ)をひかえた丘陵を利用して築かれ、築城されたころは現在の城山公園程度の規模と思われ、小山氏の本拠となったのは15世紀になってからのことでしょう。戦国の動乱にさいして、小山氏は越後の上杉氏や小田原の北条氏といった有力な戦国大名に攻略され、天正3年(1575)北条氏照(ほうじょううじてる)によって祇園城は陥落、小山秀綱(おやまひでつな)は追放されました。その後氏照が大規模に拡張・整備を行ったと思われます。やがて北条氏も滅亡し、江戸幕府成立後本多正純(ほんだまさずみ)が3万石で城主となり、最終的な縄張りを完成させ、東西約400m、南北約700mにおよぶ城郭となりました。この正純も元和(げんな)5年(1619)宇都宮へ転封となり、祇園城は廃城となりました。
平成3年3月12日 国指定
■説明板・・・
●小山市指定文化財(天然記念物) 公孫樹(こうそんじゅ:イチョウ)
公孫樹とは、イチョウの漢名。このイチョウは、漢名で呼ばれている。また、樹形の大きいことから、「城山公園の大いちょう」とも呼ばれ、市民に親しまれている。このイチョウについて、享和(きょうわ)3年(1803)に書かれた旅行記「日光駅程見聞雑記(にっこうえきていけんもんざっき)」に、「古井戸の掘りたる近くに銀杏の樹あり、高さ3丈もある古木なり」と。また、文政(ぶんせい)年間(1818-1830)の末頃に編まれた案内記「小山砂子(おやますなこ)」にも「御城山に今 古木となりて銀杏の木あり」との記載が見られ、ほぼ2世紀前、すでに古木(こぼく)だったと伝えられている。祇園(ぎおん)城落城の際、古井戸に身を投げて亡くなった姫君の霊が、かたわらのイチョウに宿り、実を結ぶことがない、との伝説もある。そのためか、「実なしいちょう」とも呼ばれてきた。イチョウは、中国原産の落葉高木(らくようこうぼく)で雌雄異株(しゆういしゅ)、樹齢を長く保つことで知られている。中世代(ちゅうぜいだい:2億3000万年〜7000万年前)によく栄えた遺存種(いぞんしゅ)で、生きている化石(かせき)とも言われている。樹勢(じゅせい)を回復するため、平成7年(1995)に、名木リフレッシュ事業による手当てを行った。●樹高 約15m ●目通り約6m ●枝張り 東西11m 南北12m
指定年月日 昭和40年12月 21日
所在地 小山市本郷町1-51
所有者 須賀神社
小山市教育委員会