■説明板・・・
●高椅神社楼門(たかはしじんじゃろうもん)(建造物)
結城城主水野氏の寄進による再建とされ、宝暦四年(1754)起工、明和七年(1770)竣功、工事に際しては領内の人夫3900余人が動員されたと伝えられる。三間一戸(さんげんいっこ)の楼門であるが、一階は扉を設けず、正面両脇間(わきま)には随身(ずいしん)をまつる。前後を唐破風(からはふ)とした入母屋造りいりもやづくり)で、屋根は、かつて茅葺(かやぶき)きであったものを現在は銅板葺きに改めている。組物は三手先(みてさき)、二階に切目縁(きりめぶち)を張り出して高欄(こうらん)をまわす。すべて円柱で、中央の二本のみを通し柱とする。装飾彫刻も随所に見られ、木鼻(きばな)を唐獅子(からじし)の丸彫とするほか、欄間(らんま)部分や妻飾りに透(すか)し彫が施されている。全体的に力強く、安定感もあり、典型的な江戸中期の楼門である。
指定年月日 平成7年8月22日
所在地 小山市大字高椅702
所有者 高椅神社
栃木県教育委員会 |