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●藤原町の風景  現栃木県日光市

独鈷沢(とっこざわ)風景 
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19.10.21
大原 001・・大原 002・・大原 003・・大原 004・・大原 005・・大原 006・・滝 001・・滝 002・・藤原 001・・藤原 002・・川治 001
川治 002
・・川治 003・・川治 004・・川治 005・・川治 006・・川治 007・・川治 008・・川治 009・・川治 010・・川治 011
五十里 001
・・五十里湖 002・・中三依 001・・中三依 002・・中三依 003・・中三依 004・・中三依 005・・中三依 006
上三依 001・・上三依 002・・上三依 003・・上三依 004・・上三依 005・・上三依 006・・上三依 007・・横川 001・・横川 002
横川 003
・・横川 004・・横川 005・・横川 006・・龍王峡駐車場・・横川 007・・独鈷沢・・中三依駅前・・不動滝・・虹見の滝
・・水準点・・五十里湖周辺
あの山この里下野伝説集 
小林友雄 著 昭和51年2月15日初版

独鈷清水(どくこしみず)

塩谷郡三依村(藤原町=現日光市)には、会津街道に沿うて上三依、中三依、下三依という三つの宿場があったが、今日では下三依の呼称が滅びて独鈷沢(とっこざわ)と呼ばれ、上三依、中三依の二つしか残っていない。下三依は男鹿川(おじかがわ)に沿った台地で、一方は断崖、一方は塩沢山(1263.9m)を控え、そのふもとを会津街道が通っているのであるから、古来水に不自由せざるをえなかった山村である。会津街道を北に辿って(たどって)来る昔の旅人は、この辺りを過ぎる頃から道が次第に上りとなり、甚だ(はなはだ)苦しめられたものである。したがってこの辺りで、もし水が飲みたくなると、はるばる崖を下って、男鹿川から水を求めねばならなかった。

昔のこと弘法大師空海がこの地を通られた。
猛暑の時であったので、いたく汗みまみれながら、道端の家に立ち寄られて、その家の嫗((ばば):おうなとも読む)に水を乞われた。
年老いた嫗はこの旅僧を哀れに思って、弓なりの腰をのばしながら、はるばると沢に下って水を求めて来た。上人はこの嫗の恵んだ水をありがたくのまれてから、この辺りの人々が水のために難渋(なんじゅう)していることをつまびらかに聞かされて、衆生済度(しゅじょうさいど:意味⇒仏道によって、生きているものすべてを迷いの中から救済し、悟りを得させること。▽仏教語。「衆生」は生きとし生けるもの。人間を含むすべての生きもの。「済度」は迷う衆生を悟りの境地に導くこと。)のために、一つにはこの情けのあちい嫗に報いようとして、付近の窪地に立ち、真言秘法を唱えつつ、その独鈷(真言宗の修法(しゅほう)に用いられる武器にかたどった仏具)をもって地上を突かれると、たちまちにして清らかな清水が湧然(ゆうぜん)としてほとばしり(意味:激しく流れ)出た。上人はねんごろにこの嫗に礼を述べて、飄然(ひょうぜん:意味⇒ふらりと立ち去った様子)としてこの地を去られたが、一たび湧出(ゆうしゅつ)した泉は日夜こんこんとして止む時はなかった。

下三依の地が、この奇瑞(きずい:意味⇒めでたいことの前兆として起こる不思議な現象。瑞相(ずいそう)。吉兆)によって独鈷沢と呼ばれるようになり、後世にこの土地の人々は言わずもがな(意味⇒→「言うまでもない」→「言う必要もない」)、多くの旅人がその恩恵を受けて今日に至っている。

※読めない文字があるのでふりがなをつけました。これで下三依が地名としてないのが理解でき、また独鈷沢(とっこざわ)の地名も理解できました。独鈷沢地区の北に八幡宮があります。そこに清水が湧き出ていました。

伝説というのはおもしろい。このあと弘法大師はどちらに行かれたのか。