あの山この里下野伝説集
小林友雄 著 昭和51年2月15日初版
独鈷清水(どくこしみず)
塩谷郡三依村(藤原町=現日光市)には、会津街道に沿うて上三依、中三依、下三依という三つの宿場があったが、今日では下三依の呼称が滅びて独鈷沢(とっこざわ)と呼ばれ、上三依、中三依の二つしか残っていない。下三依は男鹿川(おじかがわ)に沿った台地で、一方は断崖、一方は塩沢山(1263.9m)を控え、そのふもとを会津街道が通っているのであるから、古来水に不自由せざるをえなかった山村である。会津街道を北に辿って(たどって)来る昔の旅人は、この辺りを過ぎる頃から道が次第に上りとなり、甚だ(はなはだ)苦しめられたものである。したがってこの辺りで、もし水が飲みたくなると、はるばる崖を下って、男鹿川から水を求めねばならなかった。
昔のこと弘法大師空海がこの地を通られた。
猛暑の時であったので、いたく汗みまみれながら、道端の家に立ち寄られて、その家の嫗((ばば):おうなとも読む)に水を乞われた。
年老いた嫗はこの旅僧を哀れに思って、弓なりの腰をのばしながら、はるばると沢に下って水を求めて来た。上人はこの嫗の恵んだ水をありがたくのまれてから、この辺りの人々が水のために難渋(なんじゅう)していることをつまびらかに聞かされて、衆生済度(しゅじょうさいど:意味⇒仏道によって、生きているものすべてを迷いの中から救済し、悟りを得させること。▽仏教語。「衆生」は生きとし生けるもの。人間を含むすべての生きもの。「済度」は迷う衆生を悟りの境地に導くこと。)のために、一つにはこの情けのあちい嫗に報いようとして、付近の窪地に立ち、真言秘法を唱えつつ、その独鈷(真言宗の修法(しゅほう)に用いられる武器にかたどった仏具)をもって地上を突かれると、たちまちにして清らかな清水が湧然(ゆうぜん)としてほとばしり(意味:激しく流れ)出た。上人はねんごろにこの嫗に礼を述べて、飄然(ひょうぜん:意味⇒ふらりと立ち去った様子)としてこの地を去られたが、一たび湧出(ゆうしゅつ)した泉は日夜こんこんとして止む時はなかった。
下三依の地が、この奇瑞(きずい:意味⇒めでたいことの前兆として起こる不思議な現象。瑞相(ずいそう)。吉兆)によって独鈷沢と呼ばれるようになり、後世にこの土地の人々は言わずもがな(意味⇒→「言うまでもない」→「言う必要もない」)、多くの旅人がその恩恵を受けて今日に至っている。
※読めない文字があるのでふりがなをつけました。これで下三依が地名としてないのが理解でき、また独鈷沢(とっこざわ)の地名も理解できました。独鈷沢地区の北に八幡宮があります。そこに清水が湧き出ていました。
伝説というのはおもしろい。このあと弘法大師はどちらに行かれたのか。
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