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●芳賀町の風景   栃木県芳賀郡芳賀町

高宗寺 真言宗
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■案内1
●真言宗 蜜興山地蔵院 高宗寺
開山は、応永10年正月(1403年)良慶大和尚の創立。真言宗豊山派、本尊は胎蔵大日如来です。寺伝によると、天文2年10月8日、国家安穏のため祖母井信濃守更に再建すとあり、昔は二施(方が無い文字)格院と申した。東京湯島の根生院の末寺である。山門は白木の豪壮な楼門造りで、延宝元癸丑歳建立で維親という人が建てたと横堀家の古書にある。寺の棟札には、施主横堀源右ヱ門常俊とある。昭和47年山門修復のとき、屋根裏の木材に「明和九年癸辰」の墨書と、尼子村大工(現、茂木町天子)中村、小松と書いた墨書があった。
この楼門は一説によると、真岡市八条にあった真岡藩主稲葉正成建立の真岡市八条、政成寺の山門といわれ、この墨書は、その時の年代を示すものかと思われる。境内にある観音堂は、延享三丙寅年法師尊海、尊盛の代、施主横堀仙右衛門によって田野辺邑(たのべむら:現、市貝町)大工長野万右衛門の作である。この観音堂も永年の風雪にたえて、損傷甚だしかったので檀徒の浄財により修復された。
芳賀町教育委員会

■案内2
●高宗寺山門
この山門は白木の豪壮な楼門造りである。延宝元年癸卯(1673年)維親という人の作だと古書にあり、この地の旧家、横堀家の寄進と思われる。真岡藩主であった稲葉政成が、寛永4年(1627年)若色に政成寺を建立したが、明治元年(1868年)3月に神仏混淆(しんぶつこんこう)を禁止する令が出されて、全国に排仏棄釈(=廃仏毀釈)の風潮が起こった頃廃寺となった。この時、政成寺の山門を高宗寺に移築したものである。また、昭和47年に山門修理をした際に、屋根裏の木材に「明和9年癸辰(1769年)と「尼子村大工中村、小松」と書いた墨書が発見されており、移築前にも修理が行われたようである。
↓20.5.21