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田安宗武公の供養塔

般若寺跡 家治公供養塔 田安宗武公供養塔 弘法大師旧跡 浅間山古墳

般若寺跡(石塔6基・墓誌銘板=県指定文化財)
五行川東岸の台地西縁部にあり、弘仁11年(820年)弘法大師により開創され、真言律宗を奉じ現在より広大な敷地に伽藍が建立されていたが、明治35年(1902年)にことごとく焼失した。
寺跡の最北部の一段高い所に、江戸幕府十代将軍徳川家治の五輪塔形の納経塔、その南前面には田安宗武(八代将軍吉宗の二男、田安家を起こす)の宝塔形の納経塔がある。また、家治供養塔の前面に宝塔形供養塔二基と、東側には五輪塔形供養塔二基が建っている。家治供養塔の地輪には梵字経文の中に天明8年(1788年)の銘があり、他には記年銘はないが、江戸中期〜後期のものである。将軍家治の遺言により、養女となっていた種姫(田安宗武の娘で紀伊家治宝の妃となる。)が、養父家治と実父宗武の菩提を弔うために建立した供養塔となっている。種姫は悪しき病におかされ、般若寺にて静養されたという伝誦があり、昭和53年の修理の際立派な骨片の入った骨壷が発見されている。
芳賀町教育委員会