●多功城主 多功家累代の墓 見性寺
多功城は宝治(ほうじ)2年(1284)多功石見守宗朝(たこういわみのかみむねとも)によって築城されました。
宇都宮城の南方の固めとして、多功の地が選ばれ、宇都宮第五代城主頼綱(よりつな)の四男宗朝(むねとも)がその使命を受けたといわれています。この墓には、初代より第十四代綱賀(つなよし)まで、慶長(けいちょう)2年(1597)、領地を没収されるまで349年間の城主の墓があります。墓塔はすべて五輪塔で、鎌倉、南北朝、室町の各時代にわたる十数基が整然と並んでいます。
上三川町教育委員会
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