■説明板・・・
●姿亭縁起
江戸の昔、徳川幕府や壬生藩主鳥居公の使者が往来したので、御使者橋と呼ぶ。姿川にかかる。近くに御用宿(ごようやど)なる屋号の家あり。
平成3年(1991)誇れるまちづくりの名所として姿亭を建て百日紅(さるすべり)を飾る。川を越えれば、花の下野国分寺跡まで1キロあまりなり。
人生は明るく楽しく、急ぐべからずあせるべからず
国分寺町 |
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■記念碑・・・
●県営姿川東部土地改良事業竣工記念 自然の恵みで人は生きる
恵み
百年も千年もここの田んぼで
春 牛馬がレンゲを食み
夏 源氏ボタルが乱舞し
秋 父が喜び、母が笑い
冬 氷がキラキラ光った
柳のしたにはドジョウがいたね。いつも。農の五月、人も牛も馬も氷雨に泣いた。田植えの赤飯を食べたのは、アゼ道や姿川の土手だった。
太郎君も花子さんも、赤ん坊はみんな、田んぼで母さんからオッパイをもたったのサ。その時、「いそがしいんだから、早く飲め」っていわれたんだよ。
オラチの田のコメはうまいんだゾー。
にんげんの恩愛。断ち切れぬ思い出が、田の位置と形を変えるのを拒んだ。が、文明は、いつまでも夢を追うことを許さなかった。
ワシノ宮神社の東方で起工したのは、昭和53年(1978)のことである。
神仏の加護、農民の協力。役員の忍耐町民の寛容によって、姿東部500ヘクタールの美田はここに誕生した。
総工費28億円に及ぶ。この時、米価(60キロ)18,000円なるを刻し、記念とす。
土は恵 水は恵 陽は恵
平成6年(1994)春
若林英二(※旧国分寺町の町長) 書丹(※石碑を建立する際、文字を刻す前に直接石面に下書きをすること。)撰文(※碑文などの文章を作ること。) |
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