■栃木県のホームページから
大字湯津上の笠石神社に祭られている石碑で、文字の刻まれた石の上に笠のように石を載せていることから「笠石」とも言われている。延宝4年(1676)に奥州岩城の牢人で僧になった円順が、湯津上村を通りかかった時、里の人が近寄ると怪我をしたり、馬をつなぐと足をくじいたり、血をはいたりするといわれる不思議な石であるという話を聞きつけた。これを馬頭村の大金重貞に話したところ、その話が水戸黄門の名で知られる徳川光圀のもとに届き、天和3年に調査のため、助さんこと佐々木三郎宗淳を派遣した。この時、光圀は宗淳に命じ石碑を収めるお堂を造るとともに境内の整備なども行った。この石碑には、「那須国造であった那須の直韋提は郡の長官を賜り、その彼が庚子の年(700)に亡くなったので、後継者の意斯麻呂らが、石碑を作って故人を偲び祀った。」というようなことが記されている。なお、この石碑は群馬県吉井町の多胡郡碑、宮城県多賀城市の多賀城碑とともに日本三古碑の一つに数えられており、その中でも最も古いものといわれている。 |
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