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●馬頭町の風景   現 栃木県那珂川町
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馬頭院 真言宗
■説明板・・・
●武茂山 十輪寺 馬頭院
当山は、建保5年(1217)京都、醍醐寺第27代座主、光宝法印大和尚(中納言藤原光雅の子息)の開創になる寺院である。光宝大和尚、東国巡錫の砌、この武茂の地を選び柳、枝垂桜を御手植えされ、御堂を建立し、延命地蔵菩薩(県重要文化財指定)を安置し、将軍山 十輪寺 地蔵院を開く。
正和元年(1312)醍醐報恩院派、光範僧正は京都より、伏見院(※ふしみいん:伏見天皇)御宸翰(※ごしんかん:天皇自筆の文書のこと)紺紙金字金泥8巻(※紺紙に金泥の金文字の経文のようなもの)を当山に奉納し、その御威光により、荒廃せる伽藍等を再興す。天和元年(1681)領主、副将軍水戸光圀公は当山を訪れ、伏見院御宸翰(ふしみいんごしんかん)を鑑定す。
元禄5年(1692)、再度当山を参詣された光圀公は、当山に十万石の格式を与え、朱印寺とされた。その時より、光圀公の命により、当山は、馬頭観世音菩薩を本尊とし、延命地蔵菩薩を脇仏と定め、武茂山 十輪寺馬頭院と改められた。その折、参詣の記念として「枝垂栗」(県指定天然記念物)を植樹された。また、当地の地名も「馬頭」と改称されたのであった。馬頭観世音堂内には、不動明王、毘沙門天、秩父34観音等が安置されている。
当山は真言宗智山派に属し、総本山は智積院(京都市東山7条)である。
・・・以下省略します。・・・
馬頭町観光協会パンフより
馬頭院は、馬頭市街地北側の山麓にある真言宗のお寺で武茂山十輪寺と称し、建保5年に光宝上人が下向して、将軍地蔵を安置し馬頭観世音を勧請しました。そして、金堂を建てたのが始まりとされています。また、鎌倉時代の後期に寺の北東側に武茂城を築いているので、その鎮護の目的も果たしていたらしいといわれています。元禄5年にここを訪れた水戸藩主徳川光圀が諸宇堂を修営し、武茂山馬頭院と改め十石の格式を与え朱印寺となりました。そして、寺名をとって馬頭村と改めましたので、これが現町名の起源とされたわけです。境内地は約一万平方メートルにおよび老木が茂り、風致に富み、本堂をはじめ観音堂、開山堂などを備えています。本堂は文政13年、開山堂は元和年間に建てられたもので、近年改修されているものの、堂内の柱などは造営当時の部材がそのまま使われています。馬頭院の本尊は馬頭観世音菩薩です。このご本尊は木造で鎌倉初期の作であり、町の文化財に指定されています。本堂前には「三度栗」がありますが、この「三度栗」は、いまから約300年前の元禄5年に水戸光圀が訪れた記念として植樹したとつたえられています。この三度栗の周囲は
2.8メートル、樹高は9メートルもある老木で、年間、三度開花し実がなることから「三度栗」の名がつけられました。この「三度栗」は県の天然記念物として指定されております。