坂東三十三観音霊場 栃木県のみ4個所
坂東三十三箇所(ばんどうさんじゅうさんかしょ)とは源頼朝によって発願され、神奈川県・埼玉県・東京都・群馬県・栃木県・茨城県・千葉県にかけてある33か所の観音霊場のこと。
いまから1000年も前にこのような旅行のコースを考えたとは、すばらしい。当時はお寺、神社廻りが唯一の行楽だったのでしょうね。それにしても、徒歩で移動するには広すぎます。
死ぬまでに全霊場を一廻りできた人がどのくらいいたのかわかりません。
現在、この坂東三十三観音を車・電車等を駆使し廻った人には尊敬いたします。
下野33観音 那須33観音 鹿沼33観音 石裂33観音
17番 栃木市 出流山 満願寺(出流観音)

18番 日光市 日光山 中禅寺(立木観音)

●拝観券には
日光山 中禅寺(立木観音堂)
中禅寺湖畔歌ケ浜にあり、奈良時代(784)に日光開山勝道上人の創建になるものである。御本尊は、男体山頂を極め、その宿願を達した上人が湖上に示現し給う千手観音を立木のままに手刻したので、立木観音と称されている。(重要文化財)歌ケ浜は中禅寺湖と男体山の景観最もすぐれ、伝説に天女歌舞を奏したところという。

関連 鹿沼市 千手院

19番 宇都宮市 天開山 大谷寺(大谷観音)

●大谷観音の縁起
その昔、この辺り一帯は大小の岩が、まるで屏風のようになっていて、その中は広く平らに広がり、大谷と呼ばれていました。岩下からは水が湧き出して川となり自然が作った城のようでした。この中には毒蛇が住んでいて、時々毒水を流れ出し鳥獣虫魚がこれに触れると、たちまち死んでしまったため、ここを地獄谷と呼んでいました。
人間がこの水に触れると病気になり、最悪の場合は死に至り、五穀は枯れ、草木もしぼみ、人々は苦しみ、この地を捨てようとしていました。
時に大同、弘仁(810〜)の頃、弘法大師が東国巡錫の折この話を聞き、里人のうれいを除こうと毒蛇の谷に入って行きました。人々はこれを聞いて喜びました。十余日の後、谷から大師が出てきて、毒蛇を退治したと告げて立ち去って行きました。人々が谷の奥に入り中の様子を見ると、高い岩山に千手観音が光輝きそのわきだちには不動明王と毘沙門天が彫ってありました。この三尊の光明は山谷を一面金色に変えました。人々は弘法大師の不思議な力に感謝し、大師の修行を貴み観世音に帰依して仏教を信仰する者が増えました。これが大谷寺の初まりです。・・・以下省略します。

20番 益子町 独鈷山 西明寺(益子観音)
30.2.10
茨城県 
八溝山日輪寺
21番札所
謙ちゃんからの画像