写真は北赤塚町の判官塚古墳です。
◆「戦に破れた一品親王大納言広済(いっぽんしんのうだいなごんひろずみ)は愛馬とともに判官塚に隠れていたが、お家再興のため、愛馬と分かれた。残された大納言の馬は夜になると畑の作物を食い荒らした。百姓の娘おシズには馴れていたが、父、母は飼うことに反対だった。ある時母おキクはこの馬のために死んでしまった。村人たちは馬を判官塚の横穴に生き埋めにしてしまった。しばらくして馬の声が聞こえなくなった頃、生き埋めに加わった男たちに、片目が見えなくなる異常が発生した。村人達は、判官塚に石碑を立て、供養したところ、目の騒ぎをする人がいなくなった。」というはなしです。
近くに広済寺というお寺があります。 |