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<>1.水神宮
すいじんぐう
水神宮は、黒川の新田橋の上流にある当山堰の南方にあり、用水の安全と感謝のため建立されたもので、その用水は北赤塚、亀和田から壬生町にも流れ、壬生城のご用水としても使われました。
境内には、雷電さまも祀られています。. |
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<>2.道標
どうひょう
国道から旧粟野街道への入口にあり、「右くがおざく 左あわのおざく」とあり、石裂巡礼の街道であったことが分かります。
右久我石裂 左粟野尾鑿ということなんですね。
鹿沼市上久我 石裂山 千本カツラ 加蘇山神社・・・
入粟野 賀蘇山神社
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<>3.大納言の馬
だいなごんのうま
判官台の墓地の西端に、大納言の馬の供養のために、文化5年(1808)に建立された「馬頭観世音」の碑があります。
大納言の馬の哀話については「判官塚(冠塚)」を参照してください。 |
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<>4.一里塚
いちりづか
国道の西側に、一里塚があります。現在、市内に残る唯一の一里塚で、もとは道路の両側にあり、江戸から25里の一里塚です。当時の榎がそびえて、その歴史を物語り、鹿沼市グリーンライフ保存樹木104選のNo.102に選定されています。 |
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<>5.馬頭観音
ばとうかんのん
一里塚の西側に、安政6年(1859)建立の馬頭観音碑や馬力神など、馬の供養のための碑が数基あります。 |
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<>6.愛宕神社
あたごじんじゃ
清和天皇の御宇(860年頃)の創建と伝えられる。
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<>7.磐裂根裂神社
いわさくねさくじんじゃ
創建はあきらかではありませんが、もとは「星宮」で虚空蔵菩薩を祀ります。 |
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<>8.判官塚(冠塚)
はんがんづか(かんむりづか)
判官台にある前方後円墳で、冠塚ともいわれ、地元では「かくれ塚」と呼ぶ人が多い。市内では、最大級の古墳で、昭和36年市指定文化財となりました。 |
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<>9.大倉神社
おおくらじんじゃ
判官塚の後円部に大倉神社が祀られ、祭神や創建は明らかではないが、作神様と伝えられ、判官台の氏子により祭典が行われます。 |
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<>10.盾の堀
たてのほり
「南押原郷土誌」に「大字北赤塚判官台にある。周囲120間(216m)四面塚の跡があったが、当山開墾の際、ことごとく崩されて今はなくなった。これは永仁2年(1294)築城の跡だといわれた。烏丸大納言も、この城に立てこもったことがあると伝えられている」とありますが、現在は水田・宅地となっています。館・南館・東館・馬場などの地名が残っています。 |
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<>11.広済寺
こうさいじ
天台宗の寺院で、寺伝によると、正保年間(1644-1648)一品親王烏丸大納言広済の創建といわれ、寺号も開基に由来し、墓石も現存します。 |
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<>12.稲荷神社
いなりじんじゃ
由緒は明らかではないが、宝暦4年(1754)、および文化5年(1808)に社殿が造営された。境内には大杉神社の神輿が安置されています。北赤塚の大杉囃子は、市内でも最も多くの曲目を伝承しています。
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<>13.北赤塚小学校跡
きたあかつかしょうがっこうあと
北赤塚小学校は、明治6年10月創立。
昭和28年4月「磯小学校」と統合して廃校。 |
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<>14.お番神社
おばんじんじゃ
日蓮上人が佐渡に島流しになったとき、信仰したと伝えられるお番神が、一社に30体祀られ、日蓮宗派の寺内一族で毎年祭典がおこなわれます。 |
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<>15.道祖神
どうそじん
道祖神は、道陸神(どうろくじん)・塞(さい)の神などと呼ばれ、村境や峠に祀られ、悪霊を防いで行人を守護する神として信仰されます。 |
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<>16.竜光寺
りゅうこうじ
真言宗智山派の寺院で大永7年(1527)創建といわれますが、一条天皇(10世紀末)の頃との伝承もあります。江戸時代ここで寺子屋が開かれ、明治6年から同11年にかけて南押原小学校の前身「審明学舎」がありました。 |
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<>17.八幡神社
やはたじんじゃ
この辺を「お屋敷」といい、壬生義雄の後室(未亡人)の屋敷跡と伝えられ、その供養のために寛永5年(1628)に創建された神仏習合の社です。
近くに、壬生町 椿森と皇室庵がある。 |
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<>18.八竜神社
はちりゅうじんじゃ
創建は一条天皇(10世紀末)の頃との伝承があります。 |