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  南押原の歴史探訪                               ふるさと史跡めぐり

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西部コース  亀和田町、野沢町

1.天満宮  てんまんぐう

亀和田の本郷にあり、学問の神様の菅原道真を祀ります。壬生義雄の創建と伝えられ、亀和田、赤塚、七ツ石3か村の氏神でしたが、現在は亀和田本郷の氏神として祭典が行われます。
2.薬師堂  やくしどう

永延2年(988)慧心僧都の創建といわれ、古いお堂は七ツ石村戒浄坊に譲り、現在のお堂は新築再建したものです。
3.稲荷神社  いなりじんじゃ

河原坪の氏神さまです。
4.小倉堤の桜  水神宮
おくらつつみのさくら すいじんぐう

亀和田地区南端の小倉堤に、桜の植樹記念碑があります。この堤の桜は、東宮殿下(昭和天皇)の渡欧(大正10年)を記念して植樹したもので、桜の名所として賑わいました。しかし、その桜も枯木となり、現在の桜は新たに植樹されたものです。
国道の東側に水神宮があり、昭和2年1月建立の記念碑があります。



18.2.18
5.小倉川  おぐらがわ

この川は、もと清瀬川と称しましたが、この地で天正年間(1573-1592)皆川広照と宇都宮国綱との戦があり、この戦で、皆川城の出城の深程城主小倉主膳守公寛の偉勲があったことから、小倉川と改称されたといわれ、現在は思川と称しています。
6.地蔵畑  じぞうばた

神明宮の西南に約20uほどの荒地があり、昔この辺り一帯が山林であった頃に、一人の巡礼が亡くなったといわれています。その後、この辺りも開墾され畑となったが、この畑を耕すと、禍が起こると恐れられ、供養碑がたてられています。この地蔵尊の祭日には、地元の有志により供養が行われています。
7.神明宮(亀和田町)  しんめいぐう

亀和田の鎮守です。江戸時代は「大日堂」と称しましたが、明治初年に「神明宮」と改称し、村社となりました。
8.磐裂根裂神社  いわさくねさくじんじゃ

創建は明らかではありませんが、江戸時代は星宮と称し、日光例幣使が参拝された記録があるといわれます。
9.橋本亀翁塾  はしもときおうじゅく

屋敷内には門人たちによる「亀翁彰徳碑」が建立されています。
10.耳だれ地蔵  みみだれじぞう

耳の病にご利益があるというので、お参りにくる人が多く、耳だれ地蔵と呼ばれています。
11大杉神社  おおすぎじんじゃ

明治5年の勧請で、祭日には会所廻りの渡御が行われます。
12.神明宮(野沢町)  しんめいぐう

野沢竜神山にあります。社伝によると天正17年(1589)栃木町神明宿の神明宮により勧請したといわれます。