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1.稲荷神社 いなりじんじゃ
創建は明らかではありませんが、明治初年に稲荷神社と改称しました。 |
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2.境石 さかいいし
壬生領であったことを示す境石です。 |
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3.一本松学舎 いっぽんまつがくしゃ
磯の旧家に、文化年間(1804-1818)に塾が開かれ、幕末まで続けられました。教えを受ける者400人の多くに達しました。屋敷内には、門人達より建立された「頌徳碑」があります。 |
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4.高麗門 こうらいもん
壬生城から移築されたと伝えられる門です。 |
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5.御使者場道 おししゃばみち
壬生通りの渡辺農機具店の北から栃木街道に至る東西に走る道がお使者場道といわれます。 |
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6.木蓋神社 きぶたじんじゃ
創建は明らかではなく、明治9年字名により木蓋神社と改称しました。
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7.松の木地蔵 まつのきじぞう
もとは西の東武線の近くの松の木の下にあったので松の木地蔵と呼ばれたが、お参りに不便なので、当地に移転した。
23.4.10 |
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8.南押原高等小学校跡 みなみおしはらこうとうしょうがっこうあと
明治31年4月仮校舎で創立。
同37年9月現在の南押原中学校敷地に新築移転しました。
跡地に記念碑があります。 |
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9.磯小学校跡 いそしょうがっこうあと
明治6年9月創立。「磯学舎」と称し、円徳寺を使用しました。
昭和28年4月北赤塚小学校と統合し、新たに「南押原小学校」が創立されました。
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10.磯山神社 いそやまじんじゃ
永延2年(988)9月、高野下野守藤原権助の勧請で、当山明神と称し、磯、赤塚、亀和田、七ツ石、羽生田5か村の鎮守であった。
江戸時代初期に磯山明神と改称。 |
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11.円徳寺跡 えんとくじあと
円徳寺は原坪地区内にあり、四国八十八か所霊場野州礼拝三番札所になっていました。 |
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12.女体山 にょたいさん
当山の丘陵部の西側にあり、頂上に女体権現が祀られ、祭日には子供相撲などで、賑わったといわれます。 |
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13.亀の子岩 かめのこいわ
女体山の南麓に、亀の子の形をした大きさ30畳くらいの火山質岩石があって、旧例幣使街道に跨り、通行人はこの岩を背に上下しなければ、通れなかったといわれ、江戸時代には例幣使も、世にも珍しいものであるといって、ここで休んだといわれます。現在は切り払われて国道になっています。
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14.登美地蔵 とみじぞう
駒場トミさんが産婆をしていて、大正14年に71歳で亡くなるまでに、100人以上もの赤子を取り上げたといわれ、トミさんや家族の意思もあって、有志により子供の安産と成長を願って、地蔵尊が建立されました。現在も安産を願ってお参りする人が多いといわれます。 |
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15.山形屋敷 やまがたやしき
山形刑部(やまがたぎょうぶ)の屋敷跡。
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16.山形家の家伝薬 やまがたけのかでんやく
昔、小倉川には河童がいて、馬などが害されるので困っていあた。それを聞いた山形刑部が河童を懲らしめたが、命を助けてやったので、そのお詫びに、痔の病を治す薬を、河童に教えてもらったといわれ、この薬は、山形家の家伝薬として、現在も伝えられています。 |
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17.鶴が峰山 つるがみねやま
磯の西方の丘陵に高くそびえる山で、以前この峰にある老松の形が、鶴が臥しているように見えたことから、鶴が峰と呼ばれるようになったといわれます。
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18.茶臼山城跡 ちゃうすやましろあと
磯の西部丘陵の茶臼山には、山形刑部の城跡といわれる所があります。 |