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●塩原町の風景
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◆21年 塩原町(現那須塩原市)の紅葉 034    21.10.19

塩原温泉街 松根東洋城の碑
無料駐車場・とて馬車-源三窟前-箒川沿いの風景-温泉街の風景01-温泉街の風景02-箒川紅の吊橋周辺01-箒川紅の吊橋周辺02-
箒川紅の吊橋周辺03-妙雲寺-温泉街の風景02-竜頭の由来-無料駐車場・休憩所-温泉街の風景03-大町桂月歌碑-畑下温泉神社-
八汐大橋周辺-山ゆりの吊橋01-山ゆりの吊橋02-遊園橋周辺-温泉街の風景04-塩湧橋周辺-七ツ岩吊橋周辺01-七ツ岩-
三島通庸紀恩碑
-野立岩周辺01-野立岩周辺02-野立岩周辺03-福渡橋周辺-天皇の間記念公園-七ツ岩吊橋周辺02-
鹿股橋周辺01-鹿股橋周辺02-信夫恕軒の漢詩碑-松根東洋城の碑
■説明板・・・
●松根東洋城の碑(まつねとうようじょう の ひ)
【碑文】
さまみえて 土になりゐる 落葉かな
すずしさや この山水に 出湯とは   (「塩原四季郷」より)
この句碑は文学碑のなかでもめずらしい両面碑となっている。表面に前出の句が、裏面に後出の句が刻まれている。松根東洋城は東京築地の生まれであるが、家は四国の伊予宇和島藩家老の家柄である。のちに宇和島に転居し、松山中学校時代には、英語教師の
夏目漱石に師事し、一高入学後も漱石に 俳句の添削をうけた。東洋城の俳句は伝統的精神に基づき、品格を重んじ、人生と自然の主客合一の立場を貫いている。漱石は東洋城を評して、「東洋城は俳句本位の男である、あらゆる文学を十七文字にしたがる許(ばかり)ではない、人生即俳句観を抱いて道途に呻吟(しんぎん)してゐる」とその特質を批評した。松尾芭蕉の俳句の精神に傾倒し、昭和に入って俳壇に芭蕉再考を復興させた功績は大きい。また水原秋桜子をはじめ多くの新進気鋭の弟子を輩出させている。東洋城は塩原温泉の自然を深く愛し、たびたび来訪しては数多くの俳句作品を残した。
【松根東洋城】
1878年(明治11)〜1964年(昭和39)
本名豊次郎(俳人)東京生まれ。京大卒業後、宮内省に入る。「渋柿」を創刊し、句集に「俳諧道」、随筆に「黛」などがある。
■塩原温泉街の風景