■説明板・・・
●松根東洋城の碑(まつねとうようじょう の ひ)
【碑文】
さまみえて 土になりゐる 落葉かな
すずしさや この山水に 出湯とは (「塩原四季郷」より)
この句碑は文学碑のなかでもめずらしい両面碑となっている。表面に前出の句が、裏面に後出の句が刻まれている。松根東洋城は東京築地の生まれであるが、家は四国の伊予宇和島藩家老の家柄である。のちに宇和島に転居し、松山中学校時代には、英語教師の夏目漱石に師事し、一高入学後も漱石に 俳句の添削をうけた。東洋城の俳句は伝統的精神に基づき、品格を重んじ、人生と自然の主客合一の立場を貫いている。漱石は東洋城を評して、「東洋城は俳句本位の男である、あらゆる文学を十七文字にしたがる許(ばかり)ではない、人生即俳句観を抱いて道途に呻吟(しんぎん)してゐる」とその特質を批評した。松尾芭蕉の俳句の精神に傾倒し、昭和に入って俳壇に芭蕉再考を復興させた功績は大きい。また水原秋桜子をはじめ多くの新進気鋭の弟子を輩出させている。東洋城は塩原温泉の自然を深く愛し、たびたび来訪しては数多くの俳句作品を残した。
【松根東洋城】
1878年(明治11)〜1964年(昭和39)
本名豊次郎(俳人)東京生まれ。京大卒業後、宮内省に入る。「渋柿」を創刊し、句集に「俳諧道」、随筆に「黛」などがある。 |