●鹿沼見て歩き
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↓裏見ノ滝周辺→
↓お地蔵様 ↓裏見ノ滝周辺→
↓安良沢地内→
↓先憂神社 自然石社号標
↓以和為貴 碑
わをもってとうとしとなす
↓安良沢神社
■説明板・・・
●先憂神社
精銅所(古河電工日光事業所)の経理課長木村豊吉は、大正14年12月6日に「日光電気精銅所少年団(後のボーイスカウトの前身)」を組織し、自ら団長となって指導に当たって、従業員社宅居住者の子弟を対象とした社会教育に貢献しました。
その教育方法は自然にとけこんでやることを建前としたもので、荒澤川のほとりに常設道場を作り、「魚止め道場」と呼びました。この道場の一角に、団員即ち健児の守護神として建てたのが、この「先憂神社」であり、「道臣命(みちのおみのみこと)」を祀った神社です。
長年の風雪や台風などで傷みが激しかったため、昭和49年8月11日に、魚止めの撤収式を行い、同年10月6日に安良沢神社に移設して鎮座祭を行い、現在に至っています。

●安良沢神社と和の代社宅の石碑
大谷川を隔てた九桜沢に沿った地域(現やしおの湯付近)は、元々上乃代と呼ばれる地域でしたが、ここに精銅所構内にあった「吉原」「新吉原」「岩下」「妙人畑」の社宅を移設しました。西村精銅所長により、和楽精神の和をとって、和の代社宅と命名して昭和13年に完成。石碑は、西村所長の筆によるもので、258戸の和の代社宅のシンボルでした。
社宅に一角には和の代神社があり、全国でも珍しい金属の神社として、毎年9月に例祭を行っていました。
社宅は、昭和46年に社宅地区の統合により撤収され、住民はこの地、安良沢社宅に移住しました。これに伴い和の代神社も昭和49年8月に撤収式を行い、同年9月6日に、安良沢神社と改名して、この地の氏神として鎮座祭が挙行され今日に至っています。和の代社宅の石碑も、和の代神社との縁で、安良沢神社境内に保存しています。
↓先憂神社 ↓安良沢神社 ↓境内
↓車中撮影→
↓今市にてお蕎麦→