■説明文・・・
●金燈籠
町人文化の華が咲き誇った文化文政の頃、ここ大田原宿は江戸の文化を奥州へ伝える旅人と、みちのく産物を江戸へ送る商人の行き交う宿場として栄えた。
たまたま文政2年(1819)10月に「町内安全」の祈りをこめて建立されたのが金燈籠であり、もの堅い人達によって欠かさず点され(ともされ)、旅人や町人の目安となり心の安らぎとなった常夜燈でもあった。この燈籠は鹿沼の技工が鋳た由であり、本体基部には当時の町内有志及び世話人38氏が鋳名されている貴重な文化財であったが、太平洋戦争末期に供出し、その姿を消したのは誠に残念なことであった。その後、昭和30年7月、町内有志により三斗小屋宿から金燈籠を譲りうけ、百人講の尽力により復元されたことは、先人の意を継ぐ自然の情けとして高く評価されるところであった。
然しながら時代の推移に伴う車の激増により、金燈籠はその安住の地を失い、十字路の片隅に放置状態にあったのを昭和53年8月に黒磯市へ返還になったものである。折しも金燈籠建設委員会が結成され、金燈籠再建の計画を発表したところ、上町内有志を中心とする各位の深い理解によって再建できたのは何よりも幸いなことである。ここに「上町 江戸 白川」と刻まれた台石に往時を偲び、祖先の息吹きを感じとりながら、建設用地提供者並びに、別記協力者一同に感謝すると共に、上町「金燈籠」が末永く伝えられることを望むものである。
昭和54年8月吉日
金燈籠建設委員会代表 上町クラブ会長 萩原高一
青柳栄撰 中井本雄書
※文面は漢字とカタカナになっています。カタカナをひらがなに置き換えてみました。
※黒磯市に返還された金燈籠は、旧三斗小屋宿に設置されたとなっています。 |