大岩山関係の文化財について・・・説明板より
1.大岩毘沙門天本堂(市指定建造物)は宝暦12年(1762)の再建出木造、入母屋、桟瓦葺(※さんかわらぶき:桟瓦と呼ばれる波板形の瓦を用いる葺き方。江戸時代に始まった。)、間口3間、奥行く4間。本堂内には本尊として、足利氏北方の守護神として、また当時武将の武運の祈願仏として造られたという等身大の木造毘沙門天及び両脇侍像(県指定彫刻)が安置される。絵馬および奉納額(市指定民俗文化財)も多数あり、その制作年代は宝暦を始めとして江戸、明治時代にまで及んで、信仰の盛んなさまがうかがえる。
2.大岩山石造層塔(県指定考古資料)は高さ120cm、初重軸部の正面に仏像などを半肉彫りし、背面には建長8年(1256)の銘がある。足利泰氏が父義氏供養のため建立したと考えられる。
3大岩毘沙門天山門(市指定彫刻)は元禄6年(1693)の改築、木造、入母屋、桟瓦葺、間口3間、奥行2間で、山門の両側には総高340cm、半肉裸形、玉眼嵌入(ぎょくがんかんにゅう:水晶・珠玉・ガラスなどを細工してはめこんだ仏像などの目)で岩座上に立つ木造金剛力士立像(市指定彫刻)を安置する。
4.大岩毘沙門天石段(市指定歴史資料)は山門から本堂に至る正面の参道で、銘記により宝永元年(1704)造立の石段である。
5.足利は植物分布上暖帯のほぼ北限にあたり、この大岩山一帯は県内でも数少ない暖地性植物の生育地として貴重な地域にある。(市指定天然記念物)。
本堂東側のスギ(市指定天然記念物)は太さ目通り7m、高さ約29m、市内最大で樹齢600年以上と推定される。
昭和60年 (財)足利市民文化財団 足利市教育委員会 |