【栃木県のHP】から
親鸞は承元元年(1207)法難にあって越後国に配流されたが、5年ののち罪を許されて関東に入り、常陸国稲田に滞在、布教のためこの地に巡錫されたとき、大内氏一族の懇請によって一宇がつくられたのが専修寺のはじまりと伝えられる。
信州善光寺感得の一光三尊仏を本尊とし、のち真仏(2代)さらに顕智(3代)にうけつがれ、東国における初期真宗教団の根本道場として隆盛を見るにいたった。
寛正6年(1465)真慧(10代)は伊勢国一身田に専修寺をつくり本山としたので、以来この地は下野国旧本山と称されるようになった。御影堂、如来堂等はその大半は江戸時代の再建にかかるものである。後堀河天皇(第86代)の勅願所としても世に知られている。
なお、本寺東方約2qのところに、専修寺建立中に親鸞が仮住居として利用したと伝えられている「三谷草庵」があり、当該地も史跡として指定されいる。 |