■説明板
●天台宗 延生山地蔵院 城興寺
当山は古来より霊場名刹として、殊に安産、子育、子授の地蔵尊として、近県に聞こえています。
天正12年堂塔伽藍全焼し、古記録等も焼失し、開基、造立も詳か(つまびらか)でないが、その昔、後鳥羽、土御門、順徳天皇の頃か、その寵愛せし后妃懐妊したが、月満ちても産気なく、御門の心痛一方ならず、諸寺諸山の大徳安産の祈祷も空しく、ある夜夢枕に僧が立ち、曰く「女人の安産は地蔵菩薩の十種の大願の第一なれば、この菩薩を信仰すれば、安産疑いなし」と消え失せたり、これ一場の夢にして翌日に至り后妃産の紐を解き、安々と皇子誕生したという。よって「紐解地蔵」と称す。御帝は昨夜の夢の験(げん)ありしを深く感じ給い仏工運慶に地蔵菩薩を彫刻させ、この地に堂塔房宇を建立して、ここに安置し、皇城繁興を念じられ、寺名を「城興寺」と号すべしと宣せられる。またこの霊地を”延びて生まれた”より延生と名付けられた。なお、観音堂の准胝観音(じゅんていかんのん)は、芳賀秩父第五番札所である。
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