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●岩舟町の風景   栃木県岩舟町
高勝寺 三重塔 19.6.26
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■説明板・・・
●岩船山高勝寺(天台宗)
宝亀8年(775)第49代光仁天皇の御代伯州(鳥取県)大山の僧弘誓坊明願によって、開山された岩船山に関東の高野山日本三地蔵の第一の霊場といわれている。先住民族の間に高い岩肌の出た山に霊魂が集まり死ぬと霊はこの山へ昇るという宗教があった。岩船山は、死者の集まる所、霊魂の集まる所として民俗学的に非常に貴重な山である。岩船山とは山全体が一艘の船の形をしており、子供の霊を供養する所である。また位牌がなまって、岩船となったともいわれている。本尊は子育子授地蔵としても有名であり、徳川4代将軍(徳川家綱)は岩船地蔵の申し子といわれている。享保年間に諸堂の大改修が行われ、寛延4年(1751)に三重塔が建立された。その頃、岩船節といわれる念仏が関東一円に流行したといわれ、昭和16・7年頃まであった。踊り念仏はその名残りといわれている。なお、春秋の彼岸には関東一円より多くの人で賑わう。
昭和47年4月 岩舟町教育委員会

●岩舟町指定有形文化財
岩船山高勝寺の大仏・燈籠 昭和47年4月1日指定
岩船山高勝寺は、宝亀年中(770-781)伯耆国(ほうきのくに:鳥取県)大山(だいせん)の山麓に住んでいた弘誓坊明願(ぐぜほうみょうがん)がひらいたと伝えられています。
高勝寺では、正徳3年(1713)から大規模な寺院建築のために、岩船地蔵を各地にたてるなどの積極的な布教活動が行われました。このことにより岩船山の名声は一層高まり、この活動がきっかけとなってたてられたものと考えられます。
大仏は享保9年(1724)に、佐野天明鋳物師丸山善太郎毎明(さの てんみょう いものし まるやまぜんたろうことあき)によってつくられました。
平成2年3月 岩舟町教育委員会

栃木県指定 有形文化財(建造物) 高勝寺三重塔 昭和48年1月12日指定
寛延4年(1751)の建立で九輪の伏鉢銘に「大工下野国駒場村大山六云々」とあり、この地方の棟梁の建造であることが判明している。
全体の容姿は安定感があり、バランスのとれた三重塔である。この塔の北側には本堂があり、鐘楼、楼門、地蔵堂、庫裡等この山上に堂塔伽藍が建立されており、往時の信仰と苦心のあとが偲ばれる。
栃木県教育委員会・岩舟町教育委員会