観音堂跡
観音堂は、山の中腹を平坦な段にひらいて建立されたものであった。奥行27m、幅97mの広場の中央には、大きいものでは径1mもの礎石が19個並んでいる。華厳寺本堂跡から、この観音堂跡までの参道の途中には、大小の平坦な段がいくつかつくられているが、これらはいずれも盛時には宿坊や堂が置かれたものであろう。また、参道の頂上部には十数段の石段をのこし、両側には石垣を築いて荘厳さを加えているが、いずれも大きな砂岩であり、この山のものではない。この急な斜面をどの様にして運び上げたのか、全く驚くばかりである。広場の一角には井戸の跡がある。山の中腹の湧水に恵まれたところに観音堂は位置し、この湧水ゆえに出井山の名を生じたのかも知れない。その傍らにある石碑は、念仏供養のために江戸時代に立てられたものである。現在は植林された木々に遮られて見ることはできないが、東方に筑波連峰が横たわる関東平野を一望する、すばらしい景観に恵まれた場所でもある。
平成6年4月1日
都賀町教育委員会
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