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●今市市の風景   現栃木県日光市

板橋城跡

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羽生田城址 藤井城址 板橋城跡 鹿沼城主の墓所
  史跡 板橋城跡・・・道路地図には「城山443m」と表記されています。
山頂に当たるこの地は、山麓の城主館跡から比高約150m(標高443m)で石積によって補強した三段の土塁で築かれた古城址である。周囲には防御の足場である削平地や駒乗り馬場と呼ばれる平坦地を附属した戦国期の典型的な山城跡で中腹には水源もある。
永正年間(1504-1520)日光山の遊城坊(宇都宮氏一族)によって築かれ、天文年間(1532-1555)には、もと小田原北条氏の武将で鹿沼壬生氏の配下となった板橋将監親棟が占拠し、ここを拠点として周辺に武威を振った。のちに徳川氏一族の松平一成・成重親子が城主(一万石)となったが、日光東照宮の創建にともなって廃城となった。東に猪倉城址、南に小倉城址が、また眼下には今市扇状地が展望できる。
今市市教育委員会

【みぶ わが町の史跡を訪ねて 羽生田城址】には
黒川東岸の河岸段丘上につくられた中世の城址です。城南側は自然の段崖により守られ、東側は現在水田が広がっていますが、当時は大池があったと言われています。城は四重に土塁と空堀がめぐらされていました。
この城は、文亀年間(1501-04)壬生網重の築城と言われています。壬生氏は壬生城を守る出城として板橋(今市)藤井・羽生田の三つの城を築き、それぞれ家臣を配したと言われています。壬生氏最後の城主壬生義雄の時には、羽生田城には藤倉勘斉が居城していたと言われています。天正18年(1590)、壬生氏滅亡と共にこの城も廃城となりました。現在、本丸、二ノ丸は羽生田小学校の敷地となり、わずかに二ノ丸と三ノ丸の空堀と土塁が残るのみとなりました。