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●今市市の風景   現栃木県日光市

板橋将監の供養塔 板橋
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■説明板・・・
●史跡 板橋城付 板橋将監の塔(市指定 昭和40年(1965)3月)
戦国末の板橋城主、板橋将監親棟(いたばししょうげんちかむね)の供養塔である。板橋氏は武蔵国(東京都)板橋領主の出で、小田原北条氏の被官(ひかん)であったが、北条氏と鹿沼城主壬生氏との同盟関係によって、壬生氏を援助するためにこの地方へ来た。板橋将監親棟は板橋城によって、このあたり一帯に勢力をふるったが、天正18年(1590)に豊臣秀吉が小田原北条氏を滅ぼすとともに、その勢力を失った。親棟は城を去り、城館近くのこの地に常安寺を建て、出家して常安入道と称した。塔は親棟死後はるか後に建てられたものである。なおこの地は、寺名をとって小字名を常安寺という。
平成11年(1999)3月 今市市教育委員会(現日光市)
板橋将監にまつわるはなし   ≫日光田母沢御用邸近くの  延命地蔵尊

延命地蔵尊(えんめいじぞうそん)=犬牽地蔵尊(いぬひきじぞうそん)

湯ノ湖畔に勝道上人(しょうどうしょうにん)が自ら刻んだという石造の延命地蔵尊があった。室町時代のこと、板橋将監(いたばししょうげん)という領主が、湯元に狩猟に出かけた。その折、地蔵を嘲り(あざけり)地蔵と犬をつないで、湖水に投げ込んだ。やがて地蔵は犬を引き岸に向かった。
そのとき、激しい雷雨が起こり、犬は悶え(もだえ)死んでしまった。
将監や家来は口から血を吐いて倒れたが、僧が駆けつけて地蔵を拝んだところ、一同は助かり、地蔵を崇拝するようになった。それで犬牽地蔵尊とも呼ばれる。
中宮祠・湯元地区は、女人禁制であったため、江戸時代に上人ゆかりの現在地に移された。