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壬生城跡

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「わが町の史跡を訪ねて」
現在、本丸址を残す壬生城は、壬生氏二代目、綱重の築城(文明年間)といわれています。壬生氏五代目の義雄は小田原の北条氏に従い、天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原城征伐により、壬生氏も滅亡しました。壬生氏滅亡後、時代は江戸時代を迎え、城主も日野根氏(1602-1634)、阿部氏(1635-1639)、三浦氏(1639-1692)、松平氏(1692-1695)、加藤氏(1695-1712)、鳥居氏(1712-1871)とめまぐるしく代わりました。明治19年の迅速図によると、本丸の土塁と空堀は完全な形で残っており、東西、南北とも約170mほどありました。現在は壬生中央公民館の南側に本丸の土塁と空堀の一部が残るのみです。