■説明板・・・
●畳塚
鳥居元忠は慶長5年(1600)の関が原の戦に先立ち、徳川家康の命により伏見城を守りました。石田三成方の大軍を引き受けよく戦いましたが、約一ヶ月の攻防戦の末、伏見城にて自刃(じじん)しました。
この元忠の忠義を賞賛した家康は、自刃のさいの血に染まった畳を江戸城の伏見櫓(やぐら)の階上に置き、登城する諸大名に彼の忠義をしのばせたと言われています。
その後、明治にいたり江戸城が明け渡されたため、ゆかりの深い現在の地に納められ、「畳塚」と称えその上に記念碑が建立されました。
元忠の命日(旧暦の8月1日)には、勇壮な武者行列が昭和初期まで行われていました。
壬生町教育委員会
※精忠神社の本殿の裏側にあります。
|