「わが町の史跡を訪ねて」
慈覚大師誕生地(じかくたいしたんじょうち)
慈覚大師(794-864)は壬生の地御里(新町)に生まれたと言われています。姓を壬生氏、名を円仁といいます。幼少にして父を失い母に育てられましたが、温和で強い性格の持ち主でした。9才の時大慈寺の僧広智菩薩に学び、15才で比叡山に登り伝教大師(最澄)に師事しました。また838〜847年の間、唐に渡り天台宗を学びました。在唐中には武宗の廃仏にあい、俗人に身を替えたりの苦しい求法をしました。この旅行中に書いた「入唐求法巡礼行記」は、マルコポーロの「東方見聞録」、玄奘三蔵の「西遊記」とともに世界三大旅行記の一つとして高く評価されています。帰朝後は、天台宗第三世座主となり、伝教大師の偉業を大成し日本天台宗の基礎を築きました。寺の正面は「大師堂」と呼ばれ、慈覚大師を祀っています。このお堂は貞享3年(1686)日光山輪王寺の願いによって壬生城主三浦壱岐守正次によって建立されました。このお堂のすぐ西に「大師産湯の井戸」があります。また境内には、県指定天然記念物の「大イチョウ」があります。
●五町文化財マップ
大師堂は、天台宗の基礎をきずいた平安時代の高僧、慈覚大師をまつっています。堂は貞享3年(1686)、日光山輪王寺の願いにより、壬生城主三浦明敬によって建立されました。現在、建立時の棟木が当寺に保管されています。大師堂は彫刻類の飾りは一切なく質素ですが、格調の高い建物であるとともに、江戸時代中期に建造された町内に残る唯一の建造物となっています。
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