城山公園内にあります。
横尾家墓所の名書
横尾勝右衛門(よこおかつえもん)=(智孝 ともたか)は、文化人で渓雨(けいう)と号し、特に書を好み、勝海舟や日下部鳴鶴(くさかべめいかく)らの有名人との交わりを深め、この二人を自宅に招き明治22年2月に揮毫(きごう)した。 揮毫・・・書画をかくこと
墓所の正面にある「友山翁(ゆうざんおう)」の墓碑は海舟、碑文は鳴鶴の手になる。ほかに公園山頂の石碑「城山」、静園荘の裏側「城山梅園の記」の揮毫は、十五代将軍徳川慶喜の書である。
勝海舟(安芳 やすよし)
文政6年(1823)〜明治32年(1899)
幕末から明治の政治家。オランダ人を師として海軍の事を学ぶ。幕府側代表として江戸城明け渡しの任を果たし、江戸を兵火から救う。のち参議・海軍卿・枢密顧問官を歴任する。
日下部鳴鶴(東作 とうさく)
彦根藩士。若いときから書道研究に専心し、日下部家の養子となる。清国に遊び文化人と交わり、中国人から書道の権威者と呼ばれた。明治天皇の御前にて席書の光栄に浴した。鳴鶴の墓碑は、著名なものが全国に90あるが、その中にこの墓碑も搭載されている。
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