粟野一覧へ
●粟野町見て歩き       現 栃木県鹿沼市

横尾家の墓所
出口 お堂・・・ 発光路 お堂二・・・ 上永野落合 薬師堂・・・ 板名 薬師堂・・・ 板名 地蔵堂・・・ 日渡路 お堂・・・ 追地  大日堂・・・ 口粟野 三仏堂・・・ 口粟野 子安地蔵堂・・・ 横尾家の墓所・・・ 追地 不動堂・・・ 口粟野入口のお堂・・・ 大井 お堂・・・ 大井 録事尊地蔵観音堂・・・ 発光路 薬師堂・・・ 発光路 お堂一・・・ 馬置 不動堂・・・ 森 薬師堂・・・ 栃原細尾 宿瀬木観音堂・・・ 栃原細尾 お堂二・・・ 栃原細尾 お堂一・・・ 遠木 薬師堂・・・ 大越路 お堂・・・ 上永野渋垂 地蔵堂・・・ 上永野中坪 お堂・・・ 上永野山口 お堂一・・・ 上永野川久保 不動堂・・・ 上永野植竹 お堂一・・・ 上永野与洲 地蔵堂・・・ 上永野植竹 お堂二・・・ 下永野久分 地蔵様・・・ 下永野久分 お堂・・・ 下永野 お堂・・・ 上永野渋垂 お堂・・・ 上永野山口 お堂二・・・ 上永野大畑 不動堂・・・ 下永野山際 お堂・・・ 上永野山口 お堂三・・・ 足摺観音堂・・・ 寄居聖観音堂・・・ 北半田 地蔵堂
粟野町一覧  ホーム
城山公園内にあります。

横尾家墓所の名書
横尾勝右衛門(よこおかつえもん)=(智孝 ともたか)は、文化人で渓雨(けいう)と号し、特に書を好み、勝海舟や日下部鳴鶴(くさかべめいかく)らの有名人との交わりを深め、この二人を自宅に招き明治22年2月に揮毫(きごう)した。  揮毫・・・書画をかくこと
墓所の正面にある「友山翁(ゆうざんおう)」の墓碑は海舟、碑文は鳴鶴の手になる。ほかに公園山頂の石碑「城山」、静園荘の裏側「城山梅園の記」の揮毫は、十五代将軍徳川慶喜の書である。

勝海舟(安芳 やすよし)
文政6年(1823)〜明治32年(1899)
幕末から明治の政治家。オランダ人を師として海軍の事を学ぶ。幕府側代表として江戸城明け渡しの任を果たし、江戸を兵火から救う。のち参議・海軍卿・枢密顧問官を歴任する。

日下部鳴鶴(東作 とうさく)
彦根藩士。若いときから書道研究に専心し、日下部家の養子となる。清国に遊び文化人と交わり、中国人から書道の権威者と呼ばれた。明治天皇の御前にて席書の光栄に浴した。鳴鶴の墓碑は、著名なものが全国に90あるが、その中にこの墓碑も搭載されている。
粟野町教育委員会