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●馬頭町の風景   現 栃木県那珂川町
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国指定史跡 唐の御所
19.5.12
■説明板・・・
●唐の御所伝説
「唐の御所」は、今から1300年前の横穴墓です。
その昔、下総の猿島を根城に平将門(たいらのまさかど)は、その勢いにのって、常陸、下野、上野の国司を攻め落とし、天慶(てんぎょう、てんけい、てんきょう)2年(939年)、関東の大半を征して、自ら親皇と称するまでになりました。しかし、将門は、一族の貞盛や藤原秀郷に攻められて天慶3年遂に滅んでしまいました。その当時、三島城主であった小高出雲守将良は、一族をひきつれ和見にきて黄泉寺を建て出家いたしました。まもなく将門の女が将良を頼って髪をおろし、女蔵比丘尼といいました。尼は、既に子を宿していて古墳の中で男の子を出産しました。このことを世にはばかって、唐土帝王の妃がざん言によって遠くこの地に流されて来たものといいふらしましたので、この横穴が「唐の御所」と呼ばれるようになったと言われます。
国指定史跡
※将門の女・・・娘のことか
※唐土(もろこし:中国の)帝王(皇帝のことか?)妃(奥さん)のざん言(いいかげんなことを言って)によって・・・?
■説明板・・・
●唐の御所
馬頭町和見と北向田との境界にある岩下山に存し、凝灰岩の丘陵上に設けられ、石室は玄室及び前室よりなり、前室はその一部を存するのみであるが、玄室は完存し、入口は方形で門扉を設け軸摺りの跡を残している。奥行9尺6寸9分、幅6尺6寸、高さ6尺1寸9分あり、天井には棟木を刻み込んで本丘陵に存する多数の横穴とはその構造を異にし、もっとも精巧を極めている。
昭和9年12月文部省指定 馬頭町教育委員会
1尺 30.3cm
1寸 3.03cm
1分 0.303cm