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いろんな風景
日光市栗山 栗山東照宮
19.10.2
●前へ・・・17.9.13 栃木市都賀町観音堂・・・18.4.29 栃木市大平町雷電神社のシイノキ・・・20.1.26  茂木町朝日道・夕日堂
20.1.26 市貝町入野家住宅・・・19.10.2 日光市栗山栗山東照宮・・・19.10.2 日光市東武線新高徳駅・・・19.10.2 日光市東武線小佐越駅
19.10.2 日光市鬼怒川仲附の旅籠・・・19.10.2 日光市川治ダム・・・19.10.2 日光市栗山野門の風景・・・19.10.2 日光市栗山川俣大橋
・・・19.10.2 日光市栗山かつての女夫渕温泉・・・19.10.2 日光市栗山門森沢砂防堰堤・・・19.10.2 日光市栗山川俣ダム
22.3.27  山梨県身延山久遠寺・・・19.11.13 足利市名草小学校のイチョウ・・・19.11.8 日光市今市の町並み01・・・19.11.8 日光市今市の町並み02
19.11.8 日光市今市の町並み03・・・19.11.8 日光市今市の町並み04・・・●次へ
■説明板・・・
●栗山東照宮
平家落人の伝説が語り継がれる栗山村で「家康の里」を名乗るここ野門集落は、徳川三代将軍「家光公」の時代に「野門村」として日光御神領に編入された。
慶応4年(1867年)に起こった、いわゆる「戊辰戦争」の折には会津方の兵士として集落の働き手が徴用され日光と野門村とを隔てる富士見峠近くの若狭河原の戦いに2名の死傷者を出している。
混乱していたこの時期、会津方は日光東照宮境内に数ある宿坊の中でも由緒ある宿坊に祀ってあったと思われる「男体山三社神体」と「徳川家康公の御神体」を密かに奉持し、富士見峠を越えて僻遠の地、野門村に住む「小栗久右衛門」に「肥後守」(会津城主松平容保)の命による左記のお墨付きとともに象牙の白笏(【笏】しゃく・・・束帯着用の際、右手に持つ細長い板)を授けて「守護職」を命じた。
この事実を広く世に伝えんと昭和45年10月、地元奉賛会が中心となり「栗山東照宮」を建立、一般崇敬者の礼拝の対象としたものであります。

   記

戊辰元年八月■日 日光御神領野門 以小栗久右衛門守 護職命 明日卯之刻逆賊等 之行為毎■ 祖先之大廟襲之有 念慮?授白笏此御 神体之守護職命
男軆山三社神体 征夷大将軍徳川家康公神体
  於戦中
   依肥後守命
 大隊長 氷川小泉

以上のようなことが記してあります。

※1.■は不明 2.?の前の文字は似たような文字 19.10.2

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